心の病③心の病でお悩みではありませんか?家族の心の病についての経験

心の病、うつ病など

心の病③心の病でお悩みではありませんか?家族の心の病についての経験

 

こんにちは。

3月になり、少し寒さもマシになりましたが、

まだまだ寒い日もあります。

 

あなたはお元気ですか?

 

現在の母の認知症の状態などについてなど書いていましたが

母の心の病の症状は今は認知症とともに現れている感じです。

 

昨日は一泊のショートステイで、介護士の皆さまありがとうございました。

おかげさまで、少し在宅ワークが進みました。

 

私の幼少期

 

今日は思春期に亡くしてしまった父の話です。

私が産まれた時には

父は既にひどい糖尿病で、身体は痩せていました。

記憶では、父と遊んだ経験はなく、入退院を繰り返している状態で

母は父の母(私の祖母)に私を預け、病院の付き添いが多かった様子です。

 

私の祖母は昔の人の為か、非常に厳しい人で、

何かやんちゃだったらしい私は、いつも押し入れに閉じ込められていて

出れなくなっていました。

2歳、3歳のころです。

その後も祖母と離れて暮らす5歳まで、

やんちゃをすると裸のまま、風呂場に閉じ込められる。

泣いても泣いても助けてはもらえませんでした。

 

そんな記憶はすっかり忘れていました

 

母の病を理解してくれる人はなかなかいませんでしたが、

私も母と二人暮らしの中で、結婚は考えていませんでした。

 

恋愛をして、母の事も理解してもらえる方と出会い結婚しました

 

自分が子供を授かり、我が子の成長過程の中、ふと

「私はこのころ、どんな幼児だったのだろう」

と、思った時に、鮮明に思い出してしまいました。

 

フラッシュバックし、動機が激しく、冷や汗、吐き気などの症状があり

自分でも驚きました。

 

けれども、そんな症状は、父が亡くなるまで、小学生や思春期もよくあったので

気になりませんでした。

 

小学校の時は、光化学スモックにより、よく倒れて保健室に行っていたし、

中学は母が入院中の為、一人っ子の私が父の面倒を看ていました。

 

アルコール依存症

 

父の場合は、ひどい糖尿病でしたが、アルコールがやめれず、

高血糖や低血糖になると、意識を失ってしまい15分以内に救急車を呼ばないと命の危険がありました。

 

仕事は真面目でしたが、倒産や再び入院などで生活は母が工場で働き

なんとか頑張ってくれていました。

 

父の世話や仕事で疲れ切ってしまっていた母が未遂を。

私は何も考えず、普通に中学一年生のある日、家に帰ると珍しく母は居たのですが、睡眠薬の空瓶と遺書の横で、横たわっていました。

呼吸はまだあって、すぐ救急車を呼び、その後長い入院生活が続きました。

 

父の生涯

 

母が入院してからは、父はとても孤独だったと思います。

私もカロリー計算などをして、父の食事を作っていましたが、

アルコールはやめてくれませんでした。

 

一升瓶に小さく目盛りをつけ、台所に隠し、

その間に私も入浴を済ませたりしていましたが、

台所で何故かみつけ、またその間に飲んでしまっていました。

 

目盛りをつけていたので、また飲んでいるのは、すぐ分かり、

高血糖での意識不明で、父はいつ倒れるかわからない。

そんな毎日が私の思春期でした。

 

生活の不安もあり、バイトなどをしながら父の看病。

父をよく叱りましたが、アルコールはやめることができなかったようでした。

 

ゆっくり眠れる時はなく、

そのころも父が倒れるかも!の不安でいつも動悸などがありました

 

17歳になった時、私一人を残し、最終的にはガンで半年の入院のあと、亡くなってしまいました。

 

何もわからなくなっていた母

 

当時の入院では、閉鎖病棟でほぼ薬物治療。

見舞いに行っても母はほとんど寝ていて、私の事もわからない。

父が亡くなった現実も受け入れる事はできなかったです。

 

働きながら、通信の高校へ通いながら、なにかいつも孤独でした。

 

今、パソコンで打ちながらも、当時のことを思えば少し呼吸が苦しくなりますが、今現在も心の病でお悩みの方と、共感できればと思いまた書いていきますね☆彡

 

今までの心の病の記事は

https://yuw1234.me/2387/

https://yuw1234.me/2394/

 

です。

 

素敵な一日をお過ごしください。

ゆうでした。

でわまた。

 

 


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